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ユリイカ1989年5月(特集:エーコ ベストセラー『薔薇の名前』はいかにして生まれたか) [Literature & Philology]

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ユリイカ1989年5月(特集:エーコ ベストセラー『薔薇の名前』はいかにして生まれたか)

『薔薇の名前』
- プロローグ 『薔薇の名前』1(U・エーコ/河島英昭訳)
- 第一日、第一課 『薔薇の名前』2(U・エーコ/河島英昭訳)
- 第三日、終課の後 『薔薇の名前』3(U・エーコ/河島英昭訳)
- 『薔薇の名前』 ダイジェスト(谷口勇)

『薔薇の名前』をめぐって
- 「バスカヴィルのウィリアム」考(村上陽一郎)
- 『薔薇の名前』の修道院(今野國雄)
- 『薔薇の名前』の仕掛け(河島英昭)

『薔薇の名前』の背景
- インタビュー 殺人者、修道院長、そして寄稿学者(U・エーコ/細川哲士訳)
- インタビューの注にかえて(細川哲士)

- 第二のベストセラー『フーコーの振り子』
- 『フーコーの振り子』 ダイジェスト(望月紀子)
- 振り子は揺れる、二つの懐疑の間を(竹山博英)

- 開かれた作品の詩学(林和宏)
- ノニータ イタリア版『ロリータ』(U・エーコ/望月紀子訳)
- フランティ礼讃(U・エーコ/古賀弘人訳)
- 物語の中の読者 『まさにパリらしいドラマ』をめぐって(U・エーコ/篠原資明訳)
- まさにパリらしいドラマ(A・アレー/篠原資明訳)
- エーコと中世 ベアトゥス論をめぐって(篠原資明)
- 迷宮のなかの政治 『薔薇の名前』とモロ事件(伊藤公雄)
- エーコによるエーコ 作品の文化的自叙伝の試み(古賀弘人)
- エーコ著作年表(古賀弘人)

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講義では毎年『薔薇の名前』の映画を見せる。しばしば指摘される問題点(ベルナール・ギーの最期や中世暗黒論の助長)を差し引いたとしても、中世後期の修道院世界を知るのにこれほどよくできた教材は私の知る限りない。もちろんアリストテレス哲学と神学の共存と対立、教皇庁の分裂、修道会の差異、異端諸派、清貧論争などといった基本的な知識は教授しておく。学生の評判もよい。時勢が時勢ゆえ歴史知識に基づく謎解きという一点をもって『ダヴィンチ・コード』ごときと比較する学生もいるが、まあそれはご愛嬌。とりあえず中世に興味を持ってくれさえすればよい。

『薔薇の名前』は奇妙な順序で日本に紹介された。まずは1987年に映画が公開され、小説版が東京創元社から出版されたのは1990年である。原著は1980年、映画のオリジナルは1986年である。したがって、このユリイカの特集がでたとき、日本人の多くは映画版しかしらなかったわけである。訳者の河島は第一級のイタリア文学者であるが、その河島をして十年を要したこのエーコの小説はべらぼうに難解であったということである。

わたしは中世学者なのでこの特集に中世的背景の解説をある程度期待したのだが、そういう意図で編まれたわけではなかったようだ。寄稿者の中では数少ない中世の専門家今野國雄による論考はいまなお啓発的であるし読み応えがある。ただし次の一節はよくわからない。「アトソンが「言うのをはばかって」その名を明らかにしていないこのクリュニー会修道院―これをベネディクト会修道院とするものもあるが、これは誤りではないにしても性格ではない。というのも当時はベネディクト会という修道会はなかったからである―のモデルとなったのはどこか、誰しも詮索したくなる」(106頁)。ないの、本当に?あと村上陽一郎は、こんな無内容なエッセイではなく、なぜ修道院長の目からウィリアムが手持ちのアストロラーベを隠さねばならなかったのか、なぜ写字生たちがウィリアムの使うめがねに驚嘆していたのか、そういった科学史的知識が必要な細部について議論してほしかった。その場合、天文学や光学といったフランシスコ会の「科学」思想の伝統にまで踏み込む必要があっただろう。

本特集が目指そうとしたのは、『薔薇の名前』を生み出す背景としてのエーコの知的素地、そしてその素地を作ったイタリア現代社会とイタリア文学の解明にあるように感じる。『ユリイカ』はそもそも文学なので当たり前といえば当たり前なのだが。この試みがどこまで成功しているのか私にはわからないが、モロ事件についてはこれまで十分に知らなかったので、勉強になった。

エーコのほかの小説(『フーコーの振り子』と『前日島』)は文庫になっているにもかかわらず、『薔薇の名前』はまだハードカバーのままである。この前本屋で見たら、36刷とあった。粗利益の大きいハードでも売れ続けるので文庫にしないのかね、版元は。まあ、ハードカバーといえどもいまでは古書店で安く手に入れることは出来るけれども。

表紙をめくると、せりか書房、国書刊行会、晶文社などといった、読書人好みの名品を送り出した書店の広告が並んでいる。1989年といえば、わたしはまだ瀬戸内の小島で親の蔵書を適当にぱらぱらとめくるくらいしかやることのなかった時代だけれども、そんな時代に国書刊行会は「文学の冒険」、「ドイツ・ロマン派全集」、「バベルの図書館」、「ロシア・アヴァンギャルド」といった名シリーズを次々に世に送り出していたのですね。読書人にとってまことによい時代でした。

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