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アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観 [Intellectual History]

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トゥッリオ・グレゴリー(飯尾都人・近藤映子訳)
「アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観 12世紀(正)(続)」
『イタリア学会誌』17巻(1969年)、108-129頁、19巻(1971年)、114-133頁

Tullio Gregory, "L’idea di natura nella filosofia medievale prima dell’ingresso della fisica di Aristotele. Il secolo XII", in: Atti del terzo Congresso Internazionale di Filosofia medievale(Passo della Mendola, 31 agosto-5 settembre 1964). Firenze: Sansoni 1964
再録
Tullio Gregory, La filosofia della natura nel Medioevo, Milano 1966, pp. 27-65.
Tillio Gregory, Mundata sapientia, Forme di conoscenza nella cultura medievale. Roma: Edizioni di Storia e Letteratura 1992, pp. 77-114.

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著名な中世思想史家であるが、邦訳があるなどとは知らなかった。吉本秀之氏のサイトで正確な書誌を知り、CiNiiの「イタリア学会誌」からダウンロード。電車の往復で気分転換に読む。

古代末期から12世紀のシャルトル学派にいたるまでの宇宙論を素描する素晴らしい思想の道程。わたしも翻訳のある原典はいくつか読んだことがあるが、このように物語化されると、自分が得ていた断片的な知識など、学問以前の単なる情報に過ぎなかったことがよくわかる。

「意義深いのはアデラルドゥスにおいて、自然学的論拠ratioの正当性の弁護が、新しい科学上の諸学説―それは彼が、サレルノでギリシャ人教師たちと接触したり、さらにアラブ人たちからも、〈学びとった〉と言うっているものであるが―についての知識を通して、ヨーロッパ諸学派の伝統的文化地平の破壊をいっそう助長することへと向かって行くことである。そして、たとえもし、いままで指摘されてきたように、サレルノにおいてすでに著名であった一群の著作以外にはアデラルドゥスへのアラブ科学の直接的な影響は極めて疑わしいとしても、まさにこのゆえに彼の証言が確証するのは、当時発見されつつあった文化の新しい源泉に再びかけられた期待と信頼とであり、したがって、また、宇宙のもっぱら宗教的・象徴的な見解から脱け出るためには、自然学的論議とその対象とを価値付けることが必要だという自覚であり、またこの意味で、他の文明文化との境界地域―シチリア、南イタリア、スペイン―から、また、ビザンティンやアラブという近東諸国との直接的な関係を通して、当時ヨーロッパにおいて普及しつつあった諸著作についての知識が不可欠の要素であるという自覚、だったのである」(上、118頁)。

バースのアデラルドゥスを例にとり、自然科学のいわゆる12世紀ルネサンスは、宇宙についての知識人の理解を、超論理的な宗教的・象徴的説明から、古代哲学のratioを用いた説明へと移行させたことが記されている。そのうえで本論稿の後半部では、アリストテレスの復興という事実を取り上げることで満足する通常の概論的理解を超えて、ガレノス、ヒポクラテス、プラトン、ヘレニズムの思想の流入まで射程に入れ、ただratioのみに還元されない思想の重層性に注意を喚起している。

12世紀ルネサンスという考えを世に広めたのはアメリカの中世学者ハスキンズである。彼は本質的に科学史家であったが、名著『12世紀ルネサンス』においては、科学文献のみならず、ローマ法の復興や大学制度の勃興といった事象もふくめて、12世紀西欧における知的復興運動にひとつの枠を用意した。しかし彼の視界の中に、このグレゴリの論文で扱われたような、シャルトル学派の知的源泉たる「アリストテレスの彼方」は、十分に入っていなかったように思われる。

平井浩氏がbibliotheca hermeticaの2001年3月29日の記事で正しく指摘するように、グレゴリの業績が日本でほとんど知られないままでいたのは、日本のイタリア学の関心が、特定のキータームと結び付けられていたから、時代で言えば、ローマ、ルネサンス、リソルジメント、ファシズムに限定されていたからであろう。日本におけるイタリア学は、清水純一や清水廣一郎のような本物のおかげで、現在に至るまで立派な水準を保っている。その結果として基礎体力のあるイタリア研究者は結構な数が存在するのだから、その関心を別様に向けてくれればいいなと思う。ついでながら、古典学の人のうち何人かでも、中世文献学にコンバートしてくれれば、ありがたいのになと思う。

なお、グレゴリの別の論文「13世紀の危機における哲学と神学」は、日本人でもっともグレゴリの研究に馴染んでいるであろう大橋喜之氏のサイト「ヘルモゲネスを探して」に訳出されている。便利な時代になったものである。ネットを活用できない者は、いずれ人文学の世界においても情報を摂取できず埋没していくことになるのだろう。わたしは家にテレビもなければケータイも持ち合わせていない。パソコンもワープロとネット以外に使い方を知らない。ミクシもスカイプもフェイスブックもツイッターもアイフォンもアイパッドもしない。…そのうち埋没していくんだろうね。

ところで、西洋思想史上の宇宙論に関心のある方は、『新・現代歴史学の名著』にも取り上げられたギンズブルクの『チーズとうじ虫』の主人公たる、16世紀フリウリの粉引きメノッキオの宇宙論についてどう考えるのだろうか。読書経験、民間信仰、メノッキオ自身の想像力という三点によってうまれたオレ様宇宙。


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