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中央アジア・蒙古旅行記 [Sources in Latin]

カラコルム.jpg
護雅夫訳
中央アジア・蒙古旅行記
桃源社 1965年 363頁

はじめに
プラノ・カルピンのジョン修道士の旅行記
附録:ポーランド人ベネディクト修道士の口述
ルブルクのウィリアム修道士の旅行記

モンゴル人と西方世界 両修道士派遣にいたるまで

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イタリアのフランシスコ会士ヨハネス・デ・プラノ・カルピニ(1182-1252)の『モンゴル人の歴史』と、フランドルのフランシスコ会氏ギョーム・ド・リュブルク(1220-1293)の『東方旅行記』の翻訳。前者は教皇インノケンティウス4世に、後者はフランス王ルイ9世の勅命を受け、モンゴル帝国の首都カラコルムに派遣された。とても貴重な資料だが、英語とドイツ語からの重訳であることに注意。時代を考えれば仕方がなかったのかもしれない。だから本当は、ユーラシア中世史研究にとって不可欠のこの旅行記録は、きちんとした校訂に基づき訳しなおす必要がある。…若い人でいないかね。

プラノ・カルピニやリュブルクをはじめとする修道士のモンゴル帝国への派遣は、希代の東洋学者ポール・ペリオが開拓した東西交渉史の一こまである。西洋史研究において大変重要な分野であるが、洋の東西を問わずきちんとした研究は少ない。理由は明らかで、西洋学者はモンゴルを知らず、東洋学者は教皇庁を知らないからである。西洋学者ではジャン・リシャール、フォルカー・ライヒェルト、ヨハンネス・フリート、フェリキタース・シュミーダー、ピーター・ジャクソンらが仕事を残している。

なお、この「モンゴルの歴史」を要約したと思われる「タタール人の歴史」の翻訳も日本語で読める。海老澤哲雄・宇野伸浩訳「C. de BridiaによるHystoria Tartarorum訳・注」『内陸アジア言語の研究』10号(1995年)13-65頁、同11号(1996年)67-116頁(PDF、()())

こちらはきちんとラテン語から訳しおろしている。なお、この「タタール人の歴史」が記録された写本は1957年にある古書店から発見された。現在はイェール大学の図書館に所蔵されるが、そこには一枚の古地図がはさまれていた。私たちはこの古地図を「ヴィンランド・マップ」と呼ぶ。サガに記録される「ヴィンランド」という地名を見出すことの出来るこの地図は、コロンブス以前に北欧人がアメリカに到達したことを記した証拠として取りざたされたこともあった。しかしこの地図はほぼ間違いなく偽作である。もっとも、こんないかがわしい地図に頼らなくとも、紀元千年に北欧人がアメリカ大陸に到達していたことは、考古学調査により明らかなのであるが…。

訳者の海老澤について私の知るところはすくないが、1996年に筑波大学で博士号を取得している(『十三世紀モンゴルの対西欧関係に関する研究』)。おそらく従来さまざまな雑誌や紀要に掲載していた論文をまとめたものであろう。貴重な研究であるが、筑波大学か国会図書館に行かなければ見ることができない。類書を日本語で探すことが困難である状況を思えば、手直しをして本にすべきであっただろう。

最近、モンゴルを含めた中央アジアに向かった西洋人の列伝、中野美代子『ザナドゥへの道』(青土社)が刊行された。『ユリイカ』に連載されていたエッセイなのですぐに読める。上記修道士たちも主人公の一人。

写真はカラコルム。旅の果てにこうした風景が眼に入ると感動するだろうね。

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