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ゲルマン法の虚像と実像 [Classics in History]

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K・クレッシェル(石川武監訳)
ゲルマン法の虚像と実像 ドイツ法史の新しい道
創文社 1989年 397+15頁

序言

1.「ゲルマン法」 ある研究(史)上の問題
2.12世紀における法と法概念
3.「法発見」 ある近代的観念の中世的基礎
4.法の記録と法の現実 ザクセンシュピーゲルの事例
5.司法事項とポリツァイ事項
6.「ゲルマン的」所有権概念説について
7.ナチズム下におけるドイツ法学

訳者あとがき
索引

* * * * * * * * * *

今、一般史で法制史の本を読むものは大変少ないように思う。判決発見人、ローマ法の継受、部族法典、雪冤宣誓、パンデクテン法学といった言葉に馴染むものが一体どれだけるだろうか。しかしわたしが学部の頃は、たしかに社会史などもすでに市民権を得てはいたけれども、やはり中世史といえば法制史であったように思う。創文社の『ドイツ法制史概説』、『フランス法制史概説』、『イングランド法制史概説』は訳語を調べたり制度を確認するための座右の書であったし、まだ世良晃志郎の著作も増刷されていた。

一般史はその研究の重心が地中海世界に移ったかのようではあるが、法制史ではいまでもドイツが中心であり、ドイツ語が公用語である。日本の西洋法制史がドイツにこだわるのは、現行法や解釈作法の継受もふくめた歴史的経緯があるが、いまでもドイツ法制史学は、きちんと機能しているからであろう。私自身はもうその研究動向を追うことはやめてしまったが、法制史学の牙城サヴィニー雑誌は、DAと並んで半年ごとの新刊を心待ちにしていた雑誌であった。

クレッシェルはフライブルク大学の名誉教授。何度も来日し、先日おそらく最後になるであろう来日講演を学士院でおこなった。平日ゆえに聴講することはできなかったが、演題から判断するにアルトホフの紛争解決論に対するアンチテーゼであったのではないかと推測する。おおよそ政治儀礼で説明しようとするアルトホフ一派に対し、法的枠組みは有効であったとでも言うつもりだったのかもしれない。それはフランク時代から現代にいたるまでの法テクストを十分に読み込み、全4巻(だったかな)の『ドイツ法制史』を著したクレッシェルであるからこそ、一般史家の法に対する無知に警鐘を鳴らしたかったのだろうか。

出版直後、本書の書評がある歴史学の雑誌に掲載された。手元にないので確認できないが、「いまさらこんな…」というものだったらしい。法制史の恩師は怒っていた。わたしでも怒るだろう。怒るというか、仮にそのような評を読んだならば、哀しくなったであろう。評者は本の価値すらわからないのかと。法制史が歴史学の王道とはあえて言わないが、法制度は社会の骨格である。前にもどこかに書いたが、こんなに面白い事例があるんですよだけでは学問にならない。そのような事例が社会の中でどのような意味を持っていたかを明らかにするのが歴史学であり、そうした歴史的・社会的コンテクストの再現にとって最も重要な手がかりを与えるのは、まぎれもなく法制史である。もちろん、歴史コンテクストを無視した法制史の成果というものもごまんとあって、それがある種一般史の法制史離れを加速させたことは否めない。日本だけでなく、欧米でもそうである。しかしながら、本書のとりわけ第3章と第4章は、いってみれば社会史的テーマであるし、1章や7章は思想史である。読みもしないのに、法制史が無味乾燥であるという間違った認識を根本的に改める契機となるだろう。もちろん、『ドイツ法制史概説』の通読は、苦痛ですよ。読まされたけど。

日本の法制史学会のよいところは、海外から招聘した研究者の講演を、きちんと邦訳して紀要等に掲載する点である。そんなの当たり前だろと思うかもしれないが、一般史でこのような作業をしているところは案外少ない。招いたら招きっぱなし、が多い。とてももったいないことだと思うし、後につながらない。本書とて、一部は来日講演の原稿である。専門家は原文で読むだろうけど、経済史の人間が法制史を、思想史の人間が美術史の論文をわざわざ外国語で読むことは稀である。


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