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Gåvobrevet 1085 [Medieval Denmark]


Sten Skansjö & Hans Sundström
Gåvobrevet 1085. Föredrag och diskussioner vid Symposium kring Knut den heliges gåvobrevet 1085 och den tidiga medeltidens noriska samhälle.
Lund: Lund UP 1988, 152 s.

Facsimil ur Necrologium Lundense
Latinsk transskription
Svensk översättning av Birger Bergh

Föredrag
- Knut den heliges gåvobrev av den 21 maj 1085 och dess öden under 900 år. En arkivhistorisk och diplomatarisk orientering, by Birgitta Fritz
- Textinnehållet i Knut den heliges gåvobrev ur filologisk synvinkel, by Birger Bergh
- Den samfundsmæssige baggrund for Knut den Heliges gavebrev, by Kai Hørby
- Knut den heliges gåvobrev och framväxten av den feodala statsmakten, by Thomas Lindkvist
- Lund og Roskilde, by Inge Skovgaard-Petersen
- Regnum og sacerdotium i Knud den Helliges gavebrev, by Carsten Breengaard

Diskussioner
- Kring föredragen av Birgitta Fritz och Birger Bergh
- Kring föredragen av Kai Hørby och Thomas Lindkvist
- Kring föredragen av Inge Skovgaard-Petersen och Carsten Breengaard

Symposium
- Symposieprogram
- Deltagarlista

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ローマの行政制度を継承者ではない北欧において、国王証書の出現は遅い。北欧最古の証書はこの1085年5月21日の日付の残るクヌーズ聖王によるものである。しかしこれは12世紀の写本「Necrologium Lundense」の最初の頁に綴じこまれた写しであり、真正性や法的効力を担保する印璽が添付されているわけではない。ナマのものとしては、デンマークでは1135年、ノルウェーでは1154年、スウェーデンでは1164年のものが最古であったように思う。後者二つは、大司教座創設にかかわる文書であった。

この証書を発給したクヌーズ4世(1043-86)は、通例聖クヌーズと呼ばれる。クヌーズ大王の娘婿スヴェン・エストリズセンの庶子の一人である。子供の数が50人を超えたとも噂されたスヴェンであるが、そのうち5人がデンマーク王を務めた。ハーラル3世雌鳥王(治世1076-80)、この聖クヌーズ(1080-86)、オーラヴ飢餓王(1086-95)、エーリク常善王(1095-1103)、ニルス王(1103-34)である。当然、デンマーク中で政治的党派が角を突き合わせていた時代であり、ヴァイキング時代とはまた異なった意味で安定的であったわけではない。

さて、この聖クヌーズは、フランドル伯ロベール1世の娘アデラと結婚して息子シャルルを設けたが、彼はのちフランドル伯シャルル善伯(c.1080-1127)となった。ガルベール・ド・ブルージュの年代記の記述で名高い、1127年の暗殺で倒れた、かのシャルルである。ちなみに聖クヌーズの妻アデラは、夫の暗殺後、フランドルへと息子を連れた逃走し、のちにアプーリア公ルッジェーロ・ボルサと結婚し、二人の息子グリエルモ2世の摂政を務めた。彼女は、北のノルマン人と南のノルマン人の狭間で生きた、稀有な経験の持ち主である。11世紀後半は、ヴァイキング時代とは異なる政治的フェーズに入っているが、それはもう少し研究されて良い。残念ながら、フランドルとデンマークの関係を論じた論文など、見たことがない。あんのかね。

この聖クヌーズの証書は、以上のような国内の政治的背景というコンテクストの中で解釈されるべきものである。かつて、ケンブリッジ大学のサイモン・ケインズは、ヴァイキングの襲撃によって混乱期とされたエセルレッド2世治世下のイングランドにおける国王証書の発給を再検討し、証書発給という行政機能は、混乱期だからといって衰えていたわけではないことを見事に論証した。しかしながら私見によれば、話をもう少し進める必要がある。エセルレッド期の証書発給は、それ以前のエドガー聖王の時代よりも、それ以降のクヌーズ大王の時代よりも、はるかに力強く稼動していた。それはなぜか、ということである。背景として、ヴァイキングによる襲撃を原因とする土地所有権の混乱があったことは確実である。戦闘中に土地所有権を持つものが死ぬこともあれば、その寡婦がスカンディナヴィア人を含む別の人物と結婚することによって、慣習的かつ安定的な土地継承システムは崩壊した。クヌーズ大王の治世期は、ゴドウィンのような新興貴族層も台頭してきたが、それはイングランドにおける土地所有関係の混乱に乗じてのことであったとも言える。証書による土地所有権の確認は、ある種混乱期であったからこそ必要になったとする見方も、考慮されて良いのではないか。

同じようなことはデンマークにも言えるだろうが、証書による土地所有の確認という新システムがデンマークという地にどのようにして受け入れられたのか、興味深い問題ではある。手がかりが少なくて難しいんですがね。本書の論文を読む限りにおいて、そのあたりの事情はうかがうことができなかった。自分でやりなさいということでしょう。

写真はオーデンセの聖アルバノ教会。聖クヌーズは1086年7月10日、ここで対立する集団に殺害された。現在デンマークのカトリック教会に使用されているこの教会は、11世紀当時は木造教会であった。教会の裏手には、教会学校があった。オーデンセはアンデルセンの生地として名高いデンマーク第3の都市であるが、都市というにもおこがましい規模である。観光といっても町を歩く程度のことで、コペンハーゲンから日帰りで十分に楽しめる。


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